何をしていたかという話。
一言でいえば、「水面下で生きていた」というところかな。
Yahooでの最後の日記が2008/8/31で、内容は目が痛いとか痛くないとか。
結局、ドライアイということが発覚。
その後、激しく目が腫れて、小岩さん状態。
今思うと、免疫力がかなり低くなるほど、体が参ってたんだなぁと思う。
そして忘れもしない9月21日。
気づいたら変なところで寝ていた。
起き上がろうとすると、ものすごい不快感に襲われ、吐きそうになった。
知らない人が、「横になっててください」とものすごい至近距離で諭しているが、横になると、さらに気持ち悪い。
名前を聞かれた。
電話番号も聞かれた。
住所を聞かれたが何故だか思い出せない。
そもそも何故自分がそこにいるのかすら思い出せない。
思考を巡らせるが、思い当たることが全く見当たらないのだ。
少し意識がハッキリして気づいたことは、そこが救急車の中だということ。
サイレンだけ遠くに聞こえる。
少し眠る。
病院に着いたらしい。
いちにのさんで車付きのベットに乗せられ、運ばれる。
この辺のことについては、意識か記憶かわからないがとにかく飛び飛びだ。
次に覚えていることは、いちにのさんで持ち上げられて別のベットに乗せられた当たりからだ。
「服きりますね」といわれ、お気に入りのピンクのTシャツを鋭いはさみはあっけなく切り裂く。ちょきちょき。
結構な規模の人数に裸体をさらすことになる。
まさか29歳にして大勢の前で産まれたままの姿をさらけ出すことになるとは思いもよらず。
徐々に人が減って、最後にめちゃめちゃ美人な人が残った。
よくわからない感覚だが、きっと恥ずかしかったんだと思う。
横になったまま、患者用の衣服に着せられた。
左上に見える時計は9時40分頃を指してたように思う。
このあたりで、少し思い出せてきた。
たしか、朝、出勤のため、自転車に乗ったところまでは覚えている。
その後のことは曖昧だ。転びそうになったような気がする。きっと転んだんだ。
そうこう考えていると、ベットごと移動になって、検査室から押し出された。
そこには、嫁さんが泣きながら登場!
おぉ!こういうのドラマで見たことあるぞ!
と、のんきなことを考えながら、とりあえず、会社上司に電話しておいてとお願いした。
それから1日、検査入院。
頭に傷があり、右肩がやけに痛い。
後で聞いた話によると、私が道で倒れているところに通りがかった人が通報してくれたらしい。
そして私は痙攣していたとか。。。
とりあえず検査結果は異常なし。
無事退院。
それだけでなんと8万円。(保険使ってこの値段!)
お金に関しては、紆余曲折あって書くのは煩わしいので書かないが、結局全部、労災で会社が負担してくれた。
警察の現場検証はウルトラ面倒だった。
退院1ヶ月が過ぎた。
依然、右肩は痛い。
ここから半年ほど整体に通うことになる。
右肩とは別に、なんだか知らないが、ふとしたときに動機息切れがするようになった。
7年前の記憶がよみがえる。
7年前・・・、社会人になる少し前のこと、このときも動機息切れがしていた。
いろんな病院で検査してもらうが、いっさい原因は不明なのだ。
数ヶ月が過ぎ、自然に治まるようになっていたが、宮本輝氏の本を読み、あれはきっとパニック症だったのだと結論づけた。
なので、今回はいきなり心療内科に行ってみた。
「パニック症ですねぇ」だとか。
薬を処方された。
飲むと仕事にならんくらいフワフワするので控えめにした。
話は前述した整体のことに戻る。
右肩が痛いと書いたが、どう痛いかというと、運転できない(ハンドルを回せない)状態なのである。
痛くて40肩より上に上がらない。
整体で見てもらったが簡単にいきそうにない。
肩の筋肉というのはかなり複雑に入り組んでいて、首や背中などの筋肉や姿勢などの影響をかなり受けていた。
なので全身のゆがみやガチガチの肩・背中・首等々をかなり整形してもらった。
もちろん労災で。
首を見てもらっていたときのこと。
「おぉ、頭蓋骨がかなり上に上がってますねぇ。ここがずれていると自律神経がやられる場合がありますからねぇ」
!!!!!
それが原因だったのかもしれない!
とまぁそんなこんなで、仕事はかろうじてやっていたが、あらゆる活動は停止して、水面下で控えめに生きていたのだ。
かなり良くなったとはいえ、今もまだ継続中だけど(苦笑)
苦笑と書いているが、まったく悲観している訳ではない。
むしろ良かったと思うことは多々ある。
多々あって書くのが面倒なので今日は書かない(笑)