簡単に言うと、お薬手帳で指導すれば指導料を徴収できる、っていう話。
少しだけ眼科にも通院してますが、そこは病院で薬を提供してくれます。先生の説明は指導にあたるんだろうか。今度、明細を見てみたいと思います。(暫くは行く予定ないですが。。。)
富士フイルムがデジタルカメラの領域に進出していった事例は、同社にとってまったく未知の「飛び地」へと移行した例となる。銀塩フィルム事業がメインの企業にとって、デジタルカメラは未利用技術に相当する。このような飛び地への意向はリスクが大きく、失敗の確率も高いものである。しかし、富士フイルムは、2000年の最盛期には連絡売り上げの約9%を占めていた銀塩フィルムを代替することになるデジタルカメラの領域に先手をとって進出していった。
あるいは、コア技術自体を進化させることで、新たな事業創造を行う場合もある。たとえば、富士フイルムが銀会陰フィルムで培ったコア技術を機能性材料に適用し、WV(ワイドビュー)フィルムやバリアーフィルム、導電性フィルムの領域で事業開発していった例がこれに相当する。同社が開発したスキンケア化粧品「アスタリフト」や機能性食品もまたコア技術の応用であった。一見すると、フィルムとスキンケア化粧品、機能性食品とは関連性がないように見えるかもしれない。しかし、実はフィルムはコラーゲン(タンパク質)から構成されており、コラーゲンの特性を知り、それを製品化する技術は、銀塩フィルム事業を通じて、同社に蓄積されていた。また、写真プリントの色褪せの原因は紫外線で発生する活性酸素による酸化にあり、この酸化を防ぐ研究も同社では行われていた。それらに微細粒子をコントロールするナノテクノロジーを加え、スキンケア化粧品や機能性食品を開発していったのである。
一方、銀塩フィルムの領域でトップメーカーであった米イーストマン・コダックは、このような技術ダイナミクスを実現すること無く、2012年に経営破綻することとなった。富士フイルムの場合、デジタルカメラという飛び地へと進出することで機器を克服していったという印象が強いかもしれない。しかし、同社が生き残れた本当の理由は、むしろ、従来のコア技術であったフィルム関連技術を液晶や化粧品など新たな領域に応用し、市場を開拓していった点にある。つまり、銀塩フィルム事業がたとえなくなったとしても、フィルムが依然としてコア技術であると再定義したことが成功の要因だったのである。