
図書館で借りて来た本。
私が読んでいるわけではなく、嫁さんが昨日から読んでいた。
どんな内容なのか、嫁さんの斜め後ろから盗み見た。
読んでいるうちにものすごい不快感を覚え、戦線離脱した。
ほんの一端しか垣間みていないが、これからそこについて色々文句を垂れ流す。
この本を読もうと思っている人は見ない方がいいかも。
それじゃぁ、まずは読んだ箇所を以下に抜粋する。
7女の子の主体性を伸ばすのは、“厳しい母親”
子どもが目を覚ませば「早く起きなさい」「早くご飯を食べちゃいなさい」「歯磨きはしたの?」「遅刻するわよ。早く行きなさい」。子どもが帰ってくれば、「靴は揃えたの?」「手を洗った?」「早く宿題しなさい」……などなど、考えてみたら、一日中子どもに命令したり、叱ったりしてばかりいる、とお悩みのお母さんは、きっと多いことでしょう。
もっと穏やかで、優しくて、決してガミガミと言ったりしない母親でありたいとは、おそらくほとんどの方が思っていることではないでしょうか。
ガミガミと子どもを叱ってしまうことに悩んでいる親御さんの思いはきっとひとつ。
「こんなふうに叱ってばかりいると、子どもに悪影響があるのではないか」ですよね。
もし、あなたのお子さんが男の子なら、「その通り。同じことで頭ごなしに叱り続けるのは逆効果! 子どもにとっていい影響はまずありません」とお答えするところです。
しかし、相手が女の子なら、話は別。
「大いに結構。ぜひ厳しく接してください」と、誤解を恐れず申し上げたいと思います。
とはいえ、単に叱るのではありません。甘やかさない。やや厳しくしつける。常にしっかりしているようにしむけることです。
人間は、“しっかりする力”と“リラックスする力”の両方にすぐれる必要があると思います。
言うまでもなく、しっかりすることは意識的で、リラックスすることは無意識的です。両者のメリハリがくっきりしている人間を“有能”と、言うのだと思います。
そして、“しっかりする力”は子どものときに周囲の誰かによって習慣化されるものだと思います。とくに室内で母親のそばにいる傾向の強い女の予には、“お手伝い”を通じてしっかりする習慣をつけてやることができます。
そのことは、後で親に対する深い感謝をもたらすものであることはみなさんもご経験があることでしょう。
「かわいい子には旅をさせよ」
これは、かつての、男の子を甘やかさないための教訓語でした。
「獅子は児を谷に落として鍛える」
なんて、今なら「虐待では?」と問題にされちゃいそうなのまでありました。
私は、女の子用に、いささか平凡ながら、「かわいい子には厳しいしつけをせよ」をお贈りしたい。
自分で判断し、行動できる主体性のある子ども——親が望むわが子の姿は、このことに尽きるでしょう。では、その主体性をどう身につけさせたらいいのか。これは大きな問題です。
好奇心のおもむくままに行動する男の子にとって、“主体性”とは言わば「いつの間にか身についているもの」。そんな男の子にあれこれとガミガミ言いつけても「またうるさいこと言ってるよ」で終わる。“聞き流し上手”になるか、あるいは親に押さえつけられて好奇心や行動力を奪われてしまう“無気力男子”になるかのどちらかで、いずれにしろいいことはほとんどありません。
これに対して女の子は、「見よう見まねで学びながら、徐々に主体性を身につけていく」といったところがあります。だからこそ、次になすべき行動を指示し、導いていくことはとても大切なことです。
「仕事中は正しい姿勢で」「あいさつは相手の目を見て元気よく」というしつけから、「脱いだものはきちんとたたんで」「食事が終わったらキッチンまで食器を運んで」という家事の手伝い、「学校でもらったプリントは帰宅したらすぐに出す」「食事前に宿題を終わらせる」「予習・復習はきちんとやる」という勉強のことまで、いちいち厳しく言って構いません。
こうして“言いつけ”を守らせるうちに、次第に言われなくても自分からやるようになるという主体性を身につけていくのが女の子なのですから。
さて、そこで問題となるのが「厳しさの質」です。
長年多くの親御さんを拝見してきた私は、「厳しい親」にはふたつのタイプがいると実感しております。
まずひとつが、「しっかり母」。
家事はパーフェクト、近所づきあいやPTA活動もそつなくこなす親御さんがこれにあたります。こうした方は非常に厳しく娘をしつけることができます。しかも、命令口調にならず、「今宿題をやっておかないと困ったことになるんじゃないかしら」などと、理詰整然と教え諭しながら、子どもを導くことができる姿は模範的であり、理想的とも言えるでしょう。
そしてもうひとつが、「自分勝手な暴君母」。
子どものためというよりも、自分の都合で次々と用事を言いつける親がこれにあたります。
たとえば、予どもが何をしていようとお構いなしに「ちょっと、テーブル片付けてておいて!」と有無を言わさず命令したり、自分の手があいていないという理由で「ゴミの目だからゴミまとめて出してちょうがい」と命じたり、やみくもに「勉強したの? 宿題はやったの? 早くやりなさい!」ときつく言うような、とても民主的とは言えない厳しさを発揮するような親……。実は、こちらのほうが身に覚えがある方が多いのではないでしょうか。
こうして並べると、「前者のように理論的に子どもを導くのは○、口やかましく言うだけの後者は×」と思われることでしょうね。
ところが、女の子を育てる場合においては、両者とも「○」なのです(ご注意いただきたいのですが、男の子の場合は別。後者のように片面もなく頭から命令するような導き万は、やってはなりません)。
女の子を育てる場合、とくに小さいうちは「指示を出して従わせる」ということが、よい習慣を身につけるためには必要なこと。指示の出し方の優劣はあまりありません。
ただ、注意していただきたいのは、いくら女の子が親の指示によく従うからと言って、理不尽な要求をしてはいけないということ。
「バーゲンに行きたいからあなたは勉強しながら留守番してなさい」「今夜お母さんは出掛けるから弟と適当にご飯食べてちょうだい。宿題はきちんとやるのよ」……。こんな親でいいわけがないことは、この本を読んでくださっているみなさんなら、おわかりになるのは言うまでもありませんよね。
これは蛇足かもしれませんが、女性の最大の魅力である“美しさへの感受性”は、このしつけから来る、「こんなことでは白分か低く見られる。もっとキチンとしなければ」という緊張感をベースにつくられる面が強いのではないでしょうか。
きちっとした着こなし、きちっとした化粧、きちっとした立ち振る舞い。もちろん個々の人にとってその演出は界なります。
しかし、こういった人間的要素が整ってこそ、女性の本当の美しさが現れることも多いのではないでしょうか。
そこには男性が想像することもできない高いレベルの“感受性”のきらめきがあるのです。
男性の精神的な高まりは、「なんだか知りたい。はっきりさせたい」と疑問を解明する行動に走り、その経験をした結果出てくる創造的知性に現れるものです。
それに対し、女性の“感受性”の高さは、周囲のものへの心づかいを基本とする、日常的に自分を律するという習慣からもたらされると言ってよいのではないでしょうか。
※誤字脱字あったらすんません
いやはや、突っ込みどころが満載である。
まず、根拠が何も示されていない。
何故、女の子は厳しくすればよくなるのか。
きっとこの人の経験則なんだろう。
あくまでも「〜思う」だから、これを読んで、行動の指針にするのは早計である。
例であげられる「しっかり母」。
全然厳しくないんですけど。
対局としてあげられる「自分勝手な暴君母」。
「○」としているが、注意点すべき理不尽な要求をする例となんら変わりがないんですけど。
結局のところ、ついガミガミ言ってしまう母親がこれを読んですっきりしたいだけの話ではないのか?と思ってしまう。
もっと言うと、こんな母親に甘いことを言っている時点で、自己矛盾が生じていることに気がついていないのかしら???
母親だって女性なんだから厳しくしなければいけなんじゃないの?
きっとこの本を読んで「うんうん」うなずいている母親は、自分が女性であることを忘れて、自分に甘く、そして旦那、つまり、厳しくしてはいけない男性にガミガミ言っているんだろうな。
もしかしたら厳しくすることが正しいのかもしれないが、私の個人的見解では、厳しくするということは、サーカスの動物とあんまり変わらんと思っている。
確かにしつけられているんだろうけど、内面は常に「怒られないかな?」っておびえながら過ごすのである。
一番いいと思っているのは、結局は家風が染み付くので、親の振る舞いや言動がぴしっとしていれば受け継がれるものがあるということ。
まぁそんなこと嫁さんに言うと、観念的って馬鹿にされるだろうけどね。
プリーズ、私に優しさを>嫁さん
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